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牧 岡 姓 の 由 来

 

牧 岡 姓 の 謎

話帳にのっている全国200軒以上の牧岡さんの出身地(ルーツ)を調

べると、次の12都道府県になります。

新潟73軒、岐阜29軒、広島21軒、徳島21軒、

神奈川11軒、鳥取11軒、熊本8軒、鹿児島6軒、

山口5軒、三重4軒、奈良3軒、大阪1軒

(ルーツがわかっている牧岡さん193軒:11月21日現在)

のように牧岡さんは、新潟県から鹿児島県までの広い範囲に点在して

いますが、何か共通点があるのでしょうか?それとも単なる偶然でしょう

か?

「牧」という字は、牧場を表していると思われますが、それぞれの牧岡さ

んが、牧場に関係していたとか、その近くに牧場があったという話は全く耳

にしません。それなのになぜ牧岡なのでしょうか?残念ながら答えはまだ

見つかっておりません。

そこで全国の牧岡さん、一緒に考えてみませんか?

少のヒントを与えてくれるのは家紋です。家紋が同じならさらにルーツ

が同じということも考えられるからです。現在、複数の県(出身地)で使わ

れている家紋は、丸に木瓜(横木瓜)、抱き茗荷、左三つ巴です。詳しくは

下の「牧岡さんの家紋」をクリックしてください。

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大 和 時 代 を 考 え る

ず、牧=牧場と考えて、大和時代のころのことから考えてみたいと思い

ます。

和時代に、東国4国に御牧(みまき=天皇の牧場)が置かれたそうで

す。山梨県観光情報協同組合さんのホームページによると、「甲斐(山梨

県)には、柏前(かしわさき、現:高根町念場原)、真衣野(まきの、現:武

川村牧の原)、穂坂(ほさか、現:韮崎市穂坂町)の3つの牧があったそう

です。偶然の一致かもしれませんが、71軒の牧岡さんのルーツである新

潟県の柏崎(かじわざき)と甲斐の柏前(かしわさき)は、何か関係がある

のでしょうか?牧丘町のある山梨県のこと、ちょっと気になっています。

た、このころ、「牧岡」という地名がありました。延喜式神名帳という日

本最古の神社台帳に稗田神社という名でのっている東京三田にある御田

八幡神社は、「和同2年(西暦709年)に牟佐志国牧岡に東国鎮護の神と

して鎮祀された」と伝えられています。牧岡姓との関係はわかりませんが、

「牧岡」という地名がこのころからあったのは、興味深いことです。

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安 土 桃 山 時 代 を 考 え る

こで登場するのが神奈川県小田原の牧岡さんです。小田原の牧岡さん

は、お城を造る大工さんだったと言い伝えられています。

吉は、信長に仕えていた時代(1559年頃?)に、なかなからちがあか

なかった清洲城の修理を引き受け3日で終わらせたという話を始め、その

後(1566年)の墨俣一夜城、そして小田原攻めの際に築いた石垣山一夜

城(1589年)など、城造りを戦略の一つとして重要視していたようです。敵

を驚かすために、信じられないくらいの速さで城を築いたり、大きな石垣

や、どこからでも見ることができる権威の象徴としての天守閣など、今ま

でと違った発想で城が造られるようになったようです。

田原の牧岡さんが、石垣山一夜城を建てるために小田原へ来たの

か、小田原攻め後の小田原城修復のために小田原に来たのか、わかりま

せんが、いずれにせよ、この時代に小田原に来たのではないかと思われ

ます。

牧岡さんが修復したかもしれない小田原城

う一人、この時代に登場するのが、岐阜の牧岡さんのご先祖です。岐

阜の牧岡さんのご先祖は江戸時代には竹中半兵衛で有名な竹中家に仕

えたことが明らかになっています。

中半兵衛は、(羽柴)秀吉に仕え、たいそう信頼されていましたが、秀

吉が天下を統一する前に、播磨三木城包囲の陣中で病死してしました。

その子重門は、関ケ原の合戦では最終的には徳川方につき、大阪冬の

陣にも従軍し、徳川時代になっても領地はそのまま認めらることになりま

した。

の時代から岐阜の牧岡さんのご先祖が、竹中家へ仕えていたかどうか

はわかりませんが、岐阜の牧岡さんは、関ヶ原の出身です。関ヶ原の合戦

の時代から竹中家へ仕えていたと考えることが妥当ではないでしょうか?

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江 戸 時 代 を 考 え る

土桃山時代に岐阜の牧岡さんのご先祖が武士として竹中家へ仕えて

いたかどうか、多少の疑問が残りますが、江戸時代には、確かに岩手藩

士、牧岡五左衛門さんが竹中家へ仕えていました。

の岐阜の牧岡さんのように、徳川方であれば、江戸時代にも安泰だっ

た訳ですが、豊臣方についた場合、名前や素性を隠して生きて行かなけ

ればなりませんでした。そのために僧侶になった牧岡さんのご先祖もいた

ようです。


戸時代には原則として、武士や一部の許された者だけが苗字を名乗

ることができたわけですが、それぞれのルーツの牧岡さんが、江戸時代に

「牧岡」姓を名乗っていたかどうか、きちんとした調査は行われていませ

ん。しかし、この時代には、公の場で正式に苗字を名乗ることはできなくて

も、かなりの人々が苗字を名乗っていました。江戸時代に「牧岡」姓を名乗

った「牧岡」さんの中には、そんな牧岡さんもいたかも知れません。

して江戸時代の末期に、新潟県に牧岡豊左衛門という人がいまし

た。10か村を束ねる大庄屋でした。しかし、村に一揆が起こり、その任を

解かれています。柏崎編年史によれば、この豊左衛門さんは、悪者扱い

されています。しかし、江戸末期には農家も貧富の差が大きくなり、豊左

衛門さんのように、武士に近い位置に身を置く農家も出てきたのだと考え

られます。事実、大庄屋の任を解かれたといっても、力は衰えず、幕末期

には、長岡藩の武術指南役山田家からを牧岡家へ養子(鉄弥さん)を迎

え、松島家(安藤出雲守の家臣)へ養子に出すというようなことまでしてい

ます。しかし明治の時代になって、武士の時代が終わったからなのでしょ

うか、鉄弥さんは再び牧岡家へもどり、長男彦一郎さんの弟になっていま

す。

念ながら、この豊左衛門さんの子孫はわかっておりません。途絶えてし

まったのではないかと思われます。また鉄弥さんも、その後クリスチャンに

なり、聖公会(ローマカトリックから分離した教会)の司祭として活躍しまし

た。そんな関係で、豊左衛門さんのお墓は一時誰も見る人がいなくなって

しまったのですが、現在では鉄弥さんの血筋の方が、お守りしているそう

です


の時代ですごく気になったことは、ほとんど牧岡姓(牧岡家)が増えてい

なかったということです。江戸時代のことがわかっている「牧岡」さんの家で

も、そこから牧岡姓が増えていったというような事はほとんどなかったよう

です。

長や秀吉の時代は、実力さえあればどんどんのし上がれた時代で、経

済も発展しました。しかし江戸時代になると制度が整い、封建制度の中で、

発展より安定に重きがおかれました。家康自身も3代将軍を選ぶにあた

り、「能力がある者が家を継ぐ」という戦国時代の考えをやめ、長幼の序で

後継者を選び、兄弟で家督を争うような事がないような制度づくりをしまし

た。それにより、大名の家督争いも大幅に減った反面、経済面では低成長

安定型社会に移行しました。

んな影響が「牧岡さん」にもあったらしいのです。長男が家を継ぐのは

いいんですが、低成長なので次男、三男が分家するのは大変なことだった

ようです。むしろ次男、三男は跡取りのいない家へ養子に行ったようです

し、跡取りがいない牧岡さんは、養子を迎えたこともあったようです。

ずれにせよ、「牧岡」は江戸時代以前からあった苗字です。その後、明

治になって全ての人が苗字を名乗らなくてはいけなくなり、苗字の種類もい

っぺんに増加しました。

 

明 治 時 代 を 考 え る

1.明治3年、苗字許可令

明治3年に平民苗字許可令が出されました。江戸時代には武士や一部の

許された者だけが、公に苗字を名乗ることができたわけですが、四民平等

の精神で、だれでも苗字を名乗れるようになったわけです。

ただし、この時点では「平民でも苗字を名乗ることを許可する」というもので

した。しかし「許可する」と言われても、無いものは名乗れません。名乗り出

たものの多くは、江戸時代には何らかの理由で先祖の姓を隠していたり、

武士が帰農して先祖の姓を名乗れないでいたり、あるいは非公式でも「牧

岡」姓を名乗っていたことなどが考えられます。

この時、徳島県阿南市の牧岡さんも「姓を牧岡とした」そうですが、上記の

いずれかだったのではないかと推測されます。

.明治5年、改氏改名の禁止

明治5年には、登録済みの者は姓を変えたり、名前を変えることが禁止さ

れました。これにより、現在まで「牧岡さん」は「牧岡さん」のままでいること

ができたわけです。

.明治3年、平民苗字必称義務令

明治3年の平民苗字許可令でどれだけの人が苗字を名乗り出たか、手元

に資料はありませんが、明治8年の平民苗字必称義務令では「先祖以来

の苗字がわからない者は、新たに苗字をつけなさい」としています。

この令により「苗字をつけていい」から、「苗字をつけなければならない」こ

とになりました。

「日本の苗字読み解き事典」(丹羽基二)によると、姓の種類は、江戸時

代には約1万種類だったものが、この必称義務令が出た後には27万種

類にも増えたそうです。この時つけられた姓のほとんどは、地名に由来し

ていたそうです。

   
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